02_R

作曲家・平尾昌晃さんがお亡くなりになりました。・・・
2年前に肺がんを患い闘病しながら、精力的に仕事をされていたようですが
7月21日、肺炎のため都内の病院で亡くなられたとのこと。

平尾昌晃さんは、テレビ番組の司会、審査員、ラジオ番組のパーソナリティ
歌手を目指す若い人、生徒のために自主レーベルのHMSレコードを立ち上げて
優秀な生徒をCDデビューさせるなど、マルチな活躍をしていましたが
やはり、一番は『作曲家・平尾昌晃』でしょう。


sponsored link

作曲家として様々な歌手に数多くの曲を提供されてきた平尾昌晃さん。
レコード売り上げ(枚数)とは関係なく、名曲だと思える曲も
たくさんあるのですが、今回はレコードセールスbest20を調べてみました。

※wikipediaやいろいろなサイトを元に書いているのですが
売り上げ枚数が間違えているものもあるかもしれません

平尾昌晃 作曲 レコード売り上げ枚数

第20位  アグネス・チャン 「星に願いを」 
hoshininegai_R

売り上げ枚数  34.0万枚

アグネス・チャン 5枚目のシングル

発売日:1974年2月25日
作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:馬飼野俊一

週間4位(オリコン)
1974年度年間26位(オリコン)

第19位  五木ひろし 「あなたの灯」
anataakari_R

売上げ枚数  34.2万枚

五木ひろし 17枚目のシングル

発売日:1972年12月5日
作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃

5位(オリコン)
1973年度年間23位(オリコン)

第18位  梓みちよ  「二人でお酒を」
futarideosake_R

売上げ枚数  38.4万枚

発売日:1974年3月25日
作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃

週間11位(オリコン)
1974年度年間18位(オリコン)

「いつになったらこの歌(こんにちは赤ちゃん)から抜けられるのか」と
「自分を解放してくれる歌」を望んでいた梓みちよのイメージ転換に成功した、
と評価されることがある曲。

第17位  五木ひろし 「ふるさと」
furusato_R

売上げ枚数  38.7万枚

発売日:1973年7月15日
作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃

11位(オリコン)
1973年度年間44位(オリコン)

五木ひろしのふるさと福井県美浜町、三方五湖レインボーラインの
山頂公園内「五木の園」に歌碑が設置されている。

第16位  小柳ルミ子 「漁火恋唄」 
isaribi_R

売上げ枚数  39.7万枚

小柳ルミ子 6枚目のシングル

発売日:1972年11月10日
作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃

週間3位(オリコン)
1973年度年間21位(オリコン)

第15位  中条きよし 「理由」
wake_R

売上げ枚数  42.6万枚

中条きよし 3枚目のシングル

発売日:1974年10月1日
作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 編曲:竜崎孝路

第14位  天地真理 「ふたりの日曜日」
futarinon_R

売上げ枚数  44万枚

天地真理 5枚目のシングル

発売日:1972年12月5日
作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃 編曲:竜崎孝路

週間3位(オリコン)
1973年度年間13位(オリコン)

※公称 累計売上は100万枚

第13位  五木ひろし 「長崎から船に乗って」
nagasaki_R

売上げ枚数  44.5万枚

発売日:1971年8月25日
作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 編曲:高田弘

4位(オリコン)
1971年度年間40位(オリコン)

第12位  五木ひろし 「夜空」
yozora_R

売上げ枚数  44.7万枚

発売日:1973年10月20日
作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 編曲:竜崎孝路

4位(オリコン)
1974年度年間19位(オリコン)

台湾でもヒットしたが、作曲者が平尾昌晃ではなく「日本国」
2008年にアメリカ出身の演歌歌手ジェロがでカバー(アルバム)している

第11位  小柳ルミ子 「お祭りの夜」
omaturi_R

売上げ枚数  50.9万枚

小柳ルミ子 2枚目のシングル

発売日:1971年9月10日
作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

週間2位(オリコン)
1971年度年間42位(オリコン)

第10位  西崎みどり 「旅愁」 
ryosyu_R

売上げ枚数  58万枚

※公称セールスではミリオンセラー

発売日:1974年8月1日
作詞:片桐和子 作曲:平尾昌晃 編曲:竜崎孝路

週間2位(オリコン)
1975年度年間20位(オリコン)

必殺シリーズの第4作目『暗闇仕留人』の主題歌
西崎みどりは当時14歳(中学2年生)だった。
小沢深雪、石川さゆり、朝月愛、西川峰子、葵三音子、川田ともこ、平尾昌晃
中条きよし、藤田絵美子などがカバー。

第9位  小柳ルミ子 「京のにわか雨」
koinoniwaka_R

売上げ枚数  61.3万枚

小柳ルミ子 5枚目のシングル

発売日:1972年8月10日
作詞:なかにし礼 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

週間1位(オリコン)
1972年度年間7位(オリコン)

第8位  水谷豊 「カリフォルニア・コネクション」
kariforu_R

売上げ枚数  65万枚

水谷豊 5枚目のシングル

発売日1979年4月21日
作詞:阿木燿子 作曲:平尾昌晃 編曲:鈴木茂

週間3位(オリコン)
1979年度年間12位(オリコン)

『熱中時代・刑事編』の主題歌で、ドラマもヒットした。

第7位  平尾昌晃&畑中葉子 「カナダからの手紙」
kanada_R

売上げ枚数  69.9万枚

平尾昌晃・畑中葉子によるデュエット曲

発売日:1978年1月10日
作詞:橋本淳 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

週間1位(オリコン)
1978年度年間7位(オリコン)

自身が主宰する「平尾昌晃ミュージックスクール」の生徒の中から
オーディションを行い、畑中葉子とデュエットすることとなった。

第6位  伊東ゆかり  「恋のしずく」
hoshino_R

売り上げ枚数  77万枚

発売日:1968年1月20日
作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

1位(オリコン)
1968年度年間5位(オリコン)

オリコン初の女性アーティストの1位獲得曲となった。
前年(1967年)大ヒットした「小指の想い出」と共に
伊東ゆかりの代表曲。

第5位  小柳ルミ子 「瀬戸の花嫁」
setonohana_R

売上げ枚数  80万枚

小柳ルミ子 4枚目のシングル

発売日:1972年4月10日
作詞:山上路夫 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

週間1位(オリコン)
1972年度年間2位(オリコン)

「私、お嫁になんか行きません。ずっと歌を歌い続けます」という
小柳ルミ子の言葉に、事務所側が「だったら歌の中でお嫁に出しちゃおう」
といういたずら心が働いて制作が進められた。「

第4位アグネス・チャン 「草原の輝き」
sougenno_R

売上げ枚数  100万枚以上?

アグネス・チャンの3枚目のシングル

発売日:1973年7月25日
作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:馬飼野俊一

週間2位(オリコン)
1973年度年間17位(オリコン)

第46回「春の選抜高等学校野球大会」入場行進曲

第3位  小柳ルミ子  「わたしの城下町」
watasinozyouka_R

売上げ枚数  134.3万枚

小柳ルミ子 デビュー・シングル

発売日:1971年4月25日
作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

週間1位(オリコン)
1971年度年間1位(オリコン)
1972年度年間45位(オリコン)

オリコンチャートでは、通算12週にわたって週間1位。
(グループではピンキーとキラーズの「恋の季節」と
ピンク・レディーの「ウォンテッド」がそれぞれ12週連続1位
「わたしの城下町」は総合でも1位タイ記録)

第2位  五木ひろし 「よこはま・たそがれ」
yokohama_R

売上げ枚数  153万枚

4つ目の芸名(旧名義:松山まさる・一条英一・三谷謙)である
「五木ひろし」での再デビューシングル

発売日:1971年3月1日
作詞:山口洋子 作曲・編曲:平尾昌晃

週間1位(オリコン)
1971年度年間6位(オリコン)

よこはま・たそがれは「自分の原点であり、全てのスタートを切った曲」
であると強い思い入れを持っている。

第1位  中条きよし  「うそ」
uso_R

売上げ枚数  154.1万枚

中条きよしの再デビュー(旧名義:高波明・渥美健)シングル

発売日:1974年1月25日
作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 編曲:竜崎孝路

週間1位(オリコン)
1974年度年間3位(オリコン)

発売から3ヶ月余りでオリコントップ10に初登場し
6週後には1位を獲得し、そこから8週連続1位を獲得。

※自身で歌唱もされた「ミヨちゃん」(作詞作曲 平尾昌晃)は100万枚とのこと。

ささきいさおさんのwikipediaに『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』の主題歌が
一世を風靡し、ミリオンセラーを記録 と書かれているのですが
他のサイトなど、売り上げ枚数の情報を見つけられなかったので、除外しました。

それから「熱中時代」先生編 第1シリーズの主題歌だった
原田潤くんの「ぼくの先生はフィーバー」もヒットしたのですが
売り上げ枚数が不明だったので、除外しました。

この2点について判る方がいたらコメント欄からでも教えてください。

平尾さんは、近年では「ものまねバトル」やNHK「のど自慢チャンピオン大会」で
審査員を務めたり、2006年からは「NHK紅白歌合戦」でフィナーレを飾る
「蛍の光」の指揮を担当したりと、本当に幅広く活動されていました。

平尾さんが作られた数多くの名曲は、リアルタイムで知らなくても
かなり歌えたり、耳に残っている曲が多いことにあらためて
驚いています。

昭和の歌謡史を代表する偉大なヒットメーカー平尾昌晃さんの
ご冥福を心よりお祈りします。